物理学の哲学/量子力学の解釈
1.基礎概念を問い直そう
科学の背後には、とても不思議な概念や面白い思想が存在する。
例えば、時は流れるか、エントロピーは0でないか、自由意志はありえるか、
情報は客観的存在か、生命とは定義できるか、意識とは何か、世界は捉えられるか、などなど。
私は中学の時に相対論に出会って物理学が好きになり、大学で量子力学が大好きになった。
最終的に「物理学の哲学」が大好きになったのだが、そこにはいろいろなテーマがある。
全部を議論できないけれど、いくつかの問題を示しておこう。
(1) 量子力学と実在・・・実在とはなにか。
量子力学との矛盾をいかに克服できるか。
シュレーディンガーの猫、ベルのパラドクス、コッヘン=シュペッカーのパラドクスなどを議論した。
「量子という謎」(2012)、「量子力学の諸解釈」(2022)を出版。
(2) 時間と自由意志・・・時間とは何か。
時間は流れるか。時間に向きはあるか。ラプラスの悪魔、マクスウェルの悪魔。エントロピーとは何か。
情報とは何か。ギブズのパラドクス。
(3) 生命と進化・・・生命とは何か。
生命とは何か。進化とは何か。最適化アルゴリズムとどのような関係か。
(4) 意識と存在・・・主観の存在とは何か。
意識とは何か。「私」(私の主観世界=心)はいかにして宇宙の中で開闢しうるか。
(5) 世界の認識・・・超越論的な存在論とは。
実在論と経験論は、一つの世界を二つの側面で見る超越論的な見方である。
私は上記(1)-(5)を2つに分け、自分なりの考えを国内外の雑誌や本、論文やウェブページなどに載せました。
(A)
量子力学の解釈。(ここには上の(1),(2)が入ります。)
・「量子力学への統計力学的アプローチ」、白井仁人(2007)、現代思想、青土社。
・「量子という謎」 、勁草書房(2012)、白井仁人、東克明、森田邦久、渡辺鉄兵。
・「量子力学の諸解釈」、森北出版(2022)、白井仁人(単著)。売行き良好。是非読んでみて!
・「量子力学10の解釈」(単著)。某出版社予定。出版されたら是非お読み下さい。
(B)
宇宙・生命・進化について。(ここには上の(3),(4),(5)が入ります。)
・「宇宙・生命・意識の誕生」。白井仁人のWebPage。
2.興味ある問題:実在論と非実在論
私がいつも考えていることは、量子力学の哲学にしろ、生命の哲学にしろ、心の哲学にしろ、
客観的世界(物質や宇宙)の実在性を信じて良いのかという問題である。
専門的な議論を読んだことのない普通の人々は、
「客観的な世界(物質や宇宙)は本当に存在するに決まっているじゃない」
と思えているようである。
しかし、専門書などを読むとわかるのは、
客観世界の実在性を否定する人や実在性を仮定すらできないと言う人が多いという点である。
私はその考え方に対し、異なる意見を出してきたわけである。
その意見の内容を説明するのは難しいですが、
考え方の根底にあることについてまず説明したいと思います。
そもそも私たちが世界を捉えるとき、必ず目や耳などの感覚器官や
実験道具の観測器を用いている。
それを通して、客観的な世界(宇宙の一部)が実在的だと信じる。
しかし、素粒子や宇宙などかなりスケールの違う物質の法則まで調べると、
それが客観的な世界の実在性と矛盾していることに気づくのだ。
したがって、私たちの感覚器官を通して脳みそが作り出した世界はニセモノだとわかる。
また、観測器で得たデータから法則を得たとき、法則自体に間違いはないが、
その背後にあると想像する世界はニセモノ(を含むもの)なのである。
この状況で最も確かなのは、世界の実在性を否定する考え方(非実在論≒経験論)である。
それ(非実在論)を否定するのは難しい。
図でその考え方を表現すると次のように示せるだろう。
見える世界(ニセモノ) ≠ 実在世界(ホンモノ)
この考え方では、脳みそがすべてのニセモノを作り出したとされる。
これと異なる考えでは(それが私の考えですが)、
見えているものがニセモノと考えるのは同じですが、
実在する物体(ホンモノ)に道具(感覚器官や観測器)を
使うことによって見える世界なのだから、
もともと存在する世界(ホンモノ)と感覚器官(観測器)の
両方の影響を受けて見えているのだろうと考える。
その考え方を表すと次のようになる。
見える世界(ニセモノ) = 実在世界(ホンモノ)×感覚器官(または観測器)
このとき重要になるのが、どこからどこまでがホンモノで
どこからどこまでがニセモノかという問題である。
3.量子力学の解釈(白井の考え方)
量子力学に対する私の解釈(全体論的なアンサンブル解釈)を紹介しよう。
「全体論的なアンサンブル解釈」のもととなった「アンサンブル解釈(集団解釈)」
は実在主義的な解釈の一つとしてアインシュタインによって提案された。
最初、「統計解釈」と呼ばれていたのだが、その言い方は別の意味で使われることもあったため、
「アンサンブル解釈」と呼ばれるようになった。
アンサンブル解釈は「波動関数が(個別の系ではなく)同じ方法で用意された系の集団を記述している」
という考え方である。
この考え方は量子力学と矛盾することなく実在性を保持できるかのようで良い解釈かと思えた。
しかし、ベルの不等式の破れと矛盾してしまうことから、
現在ではこの解釈を支持する科学者は少なくなっている。
私は、アンサンブル解釈の考え方に基づきつつも、
アインシュタインの考え方の一部を変えてしまいました。
つまり、「波動関数は同じ方法で用意された系の集団を記述している」という考え方は支持しますが、
すべての物理量の値が実在的だとは考えないということです。
もう少し言えば「物理量の半分は実在的だが、半分は非実在的だ」という解釈です。
したがって、私の解釈は2つの柱からできている。
第一は「量子力学の理論形式」(不確定性関係を含む)への考え方であり、。
第二は「シュレーディンガー方程式の起源」に関する解釈である。
これらについて1つずつ説明していこう。
(1)理論形式の解釈
【量子力学と統計力学の比較】
量子力学の理論形式はなぜあんなに奇妙なのだろうか。
それを調べるため、まず統計力学と比べた。
具体的には、統計力学を量子力学の形式で書き直すことを試みた。
その結果、統計力学でも無理やり確率振幅(波動関数)を定義して書き直せば、ほ
とんど量子力学とほとんど同じ形式に書き換えられることがわかった。
しかし、固有関数の直交性だけは仮定せねばならず、
この点は量子力学独自であることがわかった。
またこの分析から、物理量が演算子で表されるという性質が量子力学独自ではないこともわかった。
量子力学で運動量 p は位置 x を用いて p=(h/2πi) d/dx (d/dxは偏微分)と表されるが、
統計力学での温度の逆数 β(=1/T) もエネルギー E を用いて β=−k d/dE
という演算子に対応付けられる。
【不確定性関係の解釈】
物理量が演算子で表されると非可換性が生じる。
非可換性が生じると不確定性関係が現れる。
上では、統計力学を量子力学の形式で書き直せることを示したが、
そうであれば統計力学にも不確定性関係が現れるはずである。
分析を進めた結果、統計力学に次の不確定性関係があることがわかった。
データの分散 S について計算すると、量子力学では
S(x)S(p)≧|h/4π-Ave(x)Ave(p)|=h/4π
となるが、統計力学で(温度が多数の場合を考えると)
S(E)S(β)≧|k-Ave(E)Ave(β)|
となる。もし温度が単一の場合は右辺が0になるのだが、
温度の値が多数であれば、右辺は0にならず、
不確定性関係を生み出せるのだ。
これらのことから次の考えにたどり着いた。
・量子力学では、すべての物理量が単純な変数で表現できない。
一方が変数で、他方が演算子である。
・それにより2つの物理量が非可換となり、不確定性関係が生じる。
・これは一方が実在的(常に値をもつ)であり、
他方が非実在的(確率振幅に依存する)であると解釈できる。
(2)全体論からのシュレーディンガー方程式の導出
【フィッシャー情報量最小原理】
固有関数の直交性さえ仮定すれば統計力学を量子力学の形式で記述できることは、
量子力学の独特さが理論形式よりも方程式の形に起因することを示唆する。
それでは、その方程式の形はどのような原理によって規定されるのであろうか。
1990年代にFriedenら[1990, 1991, 1995]によって、
量子力学の方程式がフィッシャー情報量最小という原理
(彼らは「フィッシャー情報量最小原理」と呼ぶ)から導出できることが示された。
この導出は統計解釈にとって大きな意味を持つ。
なぜなら、従来の古典的な統計学的原理から
(確率概念を変更したり新しい論理を導入することなく)
量子力学の方程式が導出できることを示しているからである。
つまり、従来の確率概念を用いて量子力学的な確率を解釈しようという
「アンサンブル解釈」にそのまま採用できる考え方なのだ。
量子力学の方程式が全体論から得られるのでなければ、
確率振幅は時間と共に因果的に発展すると考えることになる。
しかし、フィッシャー情報量最小原理のような全体論的な原理から方程式が得られるのであれば、
確率振幅の分布は全体論的に決まると解釈できることになる。
そこが「全体論的なアンサンブル解釈」の最も重要なところとなる。
※ 上述のE. R. Frieden が1998年に一冊の本を出した。
``Physics from Fisher Information" (Cambridge University Press, 1998)。
その本の中に、私の考えを参考にした部分があり、私の論文を引用してくれている。
米国出張でこの本を見つけ、自分の考えが紹介されていることを知ったとき、
とても嬉しかった。似た考え方をしているからだ。面識はないが仲間だと感じた。
これも科学の醍醐味の一つだろう。