3.3 「主観世界」と超越的な立場

・経験論と実在論をどうするか

 「意識」について検討する際、私たちにはいくつかの立場がある。 第一は、客観的世界を仮定する実在論である。 これは科学でしばしば取られる立場とも言える。 第二は、「主観世界」だけ信じる経験論である。 これは哲学でしばしば取られる立場である。 実在論と経験論は両立しない二つの視点だと考えられ、 どちらを採るべき立場か議論されることもあった。
 しかし、本当にどちらか一方しか取れないのだろうか。 この問いに自分よくで考えてみると、 確かにどちらか一方しか取れないことに気づく。 それは、両方が同時に成り立たず、両方の間には矛盾が生じるからである。 しかし、どちらか一方しか取らないこともおかしいことに気づく。 例えば、もし経験論だけ取るのならば、自分(や他人)の「主観世界」しか信じられないから、 物質や時空の存在も信じられなくなる。 また、実在論だけ取るのならば、宇宙の存在を信じたとしても、 その宇宙の中に「心」が存在するとは信じられなくなるからである。 結局、物質的な存在である宇宙が存在するという実在論を採るか、 非物質的な「心」が存在するという経験論を採るか。 どちらかしか採らない場合、両方を同時に説明することなどできないわけだ それではどう考えるのか。
 私が提案する新しい立場では、実在論と経験論を非両立的と認めつつも、 両方を議論に用いることができるとする。そこでは、 二つの立場と同じレベルにいるのはやめて、 両方(実在論と経験論)を保持したまま、 一つ上の視点に移動し、そこから眺めて議論するのである。 それをここでは 「超越的な立場」 と呼ぼう。超越的な立場では、両方の視点を交互に使いながら議論を展開する。

・超越的立場からの見方

 「超越的な立場」がどのようなものか説明しよう。 まず、意識に関する科学的な見方と「主観世界」に関する哲学的な見方について振り返る。
 意識に対する科学モデルを(A)とする。また、私たちのそれぞれが経験している「主観世界」を(B)とする。 科学的立場(a)から見れば、科学モデル(A)は正しいと考えられる。 また、哲学的立場(b)から見れば、主観世界のモデル(B)が正しいと考えられる。 しかし、両方同時に正しいと考えることはできないので、立場 (a) と立場 (b) を同時に取ることはできない。
 我々はさらに一歩上の見方を取ることができる。それが「超越的な立場」である。 超越的な立場 (c) は (a) と (b) の上にある。(a) と (b) を同時には取れないが、 それぞれ可能だと考える。そして、客観世界 (A) と主観世界 (B) はそれぞれの立場でとらえた面であり、 一つの世界の表面と裏面だと思えば良い。
 この考え方を図で説明しよう。超越的な見方は下に示した通りである。



 図3-1.三つの立場(a),(b),(c)を考える。 下の段(a),(b)は何を信じるかが直接関係した立場である。 上の段(c)は両方を持ちつつ、交互に信じる超越的な立場である。

 下の段の左側(a)が実在論の見方である。それは科学的な見方と言える。 これに対し、下の段の右側(b)は経験論の見方である。それは哲学的な見方である。 同時に両方の見方を取ることはできない。 それは両者が矛盾しているからである。 それらより一つ上の段に立ち、 両者の立場を同時には取らないが、 それぞれの立場から見るような立場(C)を考えることができる。 それは(a)や(b)より一段上の立場であり、 「超越的な立場」と呼んでいる立場である。
 超越的な立場から世界を見ること。それは、 客観的な見方(実在論)と主観的な見方(経験論)の矛盾を維持したまま、 両方の見方を別々に保持し、その上で 「超越的な立場」 から世界について考察することである。 両方の見方に矛盾がなくなったとは考えない。 それにもかかわらず、両方の見方を活かして世界の理解を深める。 それが、本書で提案する考え方である。
 一つ例を挙げて紹介しておこう。 例えば宇宙について議論するとき、経験論と実在論では 議論の基礎にするものが違ってくる。 「経験論」では実際に経験したことをもとにするので、 宇宙を議論する場合、必ず自分が見た宇宙を証拠にする。 したがって、地上から見た星空 が宇宙を考えるときの基礎となる。 これに対し、「実在論」では自分の目や耳などで実際に経験したことより、 望遠鏡や人工衛星のデータを使って分析した結果をもとに考える。 そこでは、望遠鏡のデータや人工衛星が撮った写真、 あるいは、それらをもとに総合的に分析した絵などがもとになる。 さまざまなデータや分析結果をもとに 138億年の宇宙図(絵) が作成されているが、それが実在論の考え方と言えよう。
 多くの科学者は、「地上から見た星空」も 「138億年の宇宙図」も両方用いて考察するわけだが、 そうしたやり方が「超越的な立場」の例だと言える。 同様に、「意識」について考察するにしろ、 「命」について考察するにしろ、 経験論か実在論かのどちらかでは無理である。 そうした場合も、「超越的な立場」で考えることが 重要だと言えよう。